2014年6月13日金曜日

集団的自衛権についてのメモ公開します

先日 党の政務調査会で配布し、説明したメモの一部です。ご参考まで。

4つの前提条件:①戦略②何が優先か③法理④国民のために政策の適切な実施
①戦略は専守防衛(戦略的守勢)であるべき。安倍政権の専守防衛はエセ専守防衛。NSSには、「我が国は、国際社会におけるプレーヤーとして、これまで以上に積極的な役割を果たしていくべきである。」とあり、自国のリソースが有り余っている状況であれば説得力があるが、X国と比較し、経済、軍事バランスが相対的に劣後している今日では、そのような余裕はなく軍事の常道にはずれた発想。本土および周辺の防衛(専守防衛)に徹するべきである。一方、国際貢献はこれまでの維持をベースとすべき。あるいは、外交による積極的な役割と限定すべき。なお専守防衛で滅んだ国は古今東西まずないが戦略的、積極的展開で滅んだ国は数知れない。

②何が優先か:①に基づいた行動計画、たとえば、尖閣上陸、奪還の準備等グレーゾーン対応が優先。また、①の戦略により、集団安全保障あるいは集団的自衛権ともに海外に自衛隊を出動させることは拡大すべきではない。
③法理:ⅰ昭和47年以降安定している憲法前文、13条から由来する自衛権の在り方や関連法制を前提とすべきで所謂芦田修正論は、それらと非連続の状態におくこととなり、容認できない。また、仮に政権に入った場合、ほぼすべての関連法を作り直すことになり、実務上困難。ⅱ憲法レベルで区別できない事項を下位の法規で書き分けることは立法上非合理的でやるべきではない。

①、②、③を満たす、どうしても集団的自衛権でしか実施できない作戦は?

個別、警察権、でもできる事態にはそれらの法理で行うべき。理由は、集団的自衛権行使には、指揮権リスクあるいは国権の制限リスク(司令官の命令を通じて米国(例)の主権の一部に組み込まれる。元山機雷掃海作戦の実例)があり、大国から小国への集団的自衛権行使においては問題とならないこの点が問題。なおこの点は、一体化による相乗効果と表裏一体。それ以外にも他国の戦争に巻き込まれるリスクも存在する。
そのうえで、あくまでも可能性として、日本独自の船舶強制臨検が残り、この点は可能性はあるが、現在の安倍政権は①が満たされていない。また③の検討も十分になされたとは言い難く、現政権では不可能。

①、②、③を満たせても、④を満たすことはできない。
ご承知の通り、わが党の公務員改革関連法案は廃案となり、官僚機構改革は実行できておらず、縦割り、各省予算、機構定員の拡大至上主義、無責任体質(失敗の責任は国民に還元される)は温存されたまま。
そうした中で、集団的自衛権(個別的自衛権等であっても)という権限を役所に追加的に与えることは、役所の権限を縦割り的に増大させ、失敗の責任を取らず、結局つけが国民にまわる官僚主導政治の弊害を助長することになる。例えば、今国会に閣法で出された防衛省設置法改正、防衛審議官の追加はほんの序章。
言い換えると、とても防衛省改革が完了し、国民を向いた組織になったとは言えない。
ゆえに④を満たすことはできない。

補足1:抑止力の強化になるか?
集団的自衛権が可能になると、米国軍隊がより防衛的になる、つまりは米国の抑止力が高まるとは言える。しかし、それは限定的。実際、中国は日本の集団的自衛権の問題についていつもの強烈な非難はない。さらに、直接的に自衛隊の抑止力が高まることはない。一方、本来、米国は自立の考えからして、自分の軍隊は自分で守るというオペレーション計画。それをわざわざ日本が肩代わりしてさしあげるという事は米国からして勿論歓迎だろう。それは、米国の税金とリスクを使わず、日本の税金とリスクで米国を守ってくれるというのであるから。しかしそれが日本の国益になるか疑問。たとえば事例14のイージス艦の周辺警戒は本来、米軍のオペレーション計画の中で当然組み込まれている所、わざわざ日本が肩代わりしようとするもの。言わば、日本の場合、守ってもらわねばならないがだからと言って、米国も同様というのは間違い。また、米軍は自衛隊が追加的に防衛して差し上げないと、守れないほど脆弱、弱体化していると内外に表明しているのであり、この点危険。

補足2:政府事例8 米艦による邦人 輸送
個別的自衛権は憲法13条から由来している。 同条には、
「憲法13条:生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については(中略)最大の尊重を必要とする。」であり、事例8は個別的自衛権でも可能な事例。にも関わらず、安倍総理は法制局長官が答弁しているからとして、個別的自衛権ではないと予算委員会で答弁。しかし、平成3年3月13日池田防衛庁長官は、「公海上で日本人の生命が危殆に瀕している場合は、3要件が満たされれば、ありうる」と答弁しており、個別的自衛権もありうると表明している。
このような戦後数十年の方針の転換、今後数十年の方針の確定に際して、政府の検討、答弁は軽率、底が浅いのではないか。
このような不十分な検討の中での集団的自衛権容認はすべきではない。(しっかりした内閣で仕切り直しをすべき)